| そんなわけで、 海老名→新宿→初台に向かい、 オペラシティーアートギャラリーのICCへ。 電気で植物とコミュニケーションする企画展と ネットやPCを介した いわゆるメディアアートの常設展を見てきました。 ネットでのウワサ通り常設展は企画展より わかりやすかったです。 というか、常設展に関しては 「あーこういう感じなのか。コレで良いのか。 っていうか、全然一緒じゃないか。」 と改めて思いました。 インターネットを介したメディアアート専門の拠点は 日本では現在ココが一番専門機関なわけで、 そこの常設展の仕組みがこういう感じのものであるならば 思考回路的には私がやっていた事とそんなに大差無いのだなと。 高知の片田舎でやっていても方向的には全然間違ってなかったと言うか、「あ、そうなんだ。最先端のICCでもこのくらいの状況なのか」と。 むしろ「こんな方法じゃなくてもっとスマートな方法が都心に行けばすぐに有るのではないか」と思い込んでいたのは幻想だったんじゃないか?ぐらいの...。 (ハード面の改造になって来るとさすがにすごいのも有るけれどソフト的なものをアート作品化する事に関しては確実に"今まで自分のやっていた事の延長線上"にあった。) 後はたりないものは、"お金とシステム知識と直接聞きに行ける近くの専門家"なのだなと。 |
そして企画展に関しては、
一部どこか[生物学者がアート作品に関わってみた]ようなものもあって、
システムの循環度と作品としてのコンセプト的な循環度に温度差があると言うか、血の巡りが悪い感じがナキニシモアラズ。
そう感じたのはきっと[解説の少なさ]に違いないのだけど、
「芸術家が自分勝手な事をやって一般人にはわけがわからない」ようにみえるのと同じ現象が起きていた。
コンテンポラリーアートは美術の中の新転地の開拓業者みたいなものなので、学者の実験に近い所は確かに有るのだろうし、そこで意気投合したのだろうなと思う反面、
説明しなくて良い領域だと思っている所が説明されてないといまいち伝わらないのだけど、それをスタッフにガンガン聞かないと知ることができない状態に疎外感を感じると言うか。
(遠く田舎から出て来た人には帰る時間の都合で鑑賞時間が少ないし。)
全部説明してしまうと意味が無いのだけれど、説明しないといけない事は説明しないと伝わらない
(特に技術的な事などは本人が説明するとある意味シラケるので本人には説明できず、
その役割を持つべき別の人が説明しなくてはならない)
結局、中間で伝達をするべき役割のものがすっぽりと抜けてしまっているのは、
何か専門を開拓する分野での日本全体の話なのかな...と。そのような事を考えながら高知へ帰る。
一部どこか[生物学者がアート作品に関わってみた]ようなものもあって、
システムの循環度と作品としてのコンセプト的な循環度に温度差があると言うか、血の巡りが悪い感じがナキニシモアラズ。
そう感じたのはきっと[解説の少なさ]に違いないのだけど、
「芸術家が自分勝手な事をやって一般人にはわけがわからない」ようにみえるのと同じ現象が起きていた。
コンテンポラリーアートは美術の中の新転地の開拓業者みたいなものなので、学者の実験に近い所は確かに有るのだろうし、そこで意気投合したのだろうなと思う反面、
説明しなくて良い領域だと思っている所が説明されてないといまいち伝わらないのだけど、それをスタッフにガンガン聞かないと知ることができない状態に疎外感を感じると言うか。
(遠く田舎から出て来た人には帰る時間の都合で鑑賞時間が少ないし。)
全部説明してしまうと意味が無いのだけれど、説明しないといけない事は説明しないと伝わらない
(特に技術的な事などは本人が説明するとある意味シラケるので本人には説明できず、
その役割を持つべき別の人が説明しなくてはならない)
結局、中間で伝達をするべき役割のものがすっぽりと抜けてしまっているのは、
何か専門を開拓する分野での日本全体の話なのかな...と。そのような事を考えながら高知へ帰る。




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