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2007年12月27日

   ●今日から3 日連載

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前にこの日記でも書いた“変な対談”
こと
「県内07アートシーン回顧」
が26日から高知新聞紙面で
上中下にわけて3日間連載されてます。


改めて私は一体何様なんだか…。

まぁいいや。
みんな思っていることには違いなく、
言う場が無いのが悪いんだし。

なんでか私がたまたま言える場の
近くにうろついているから、
言う係が回ってくるのであって。 一意見ですが。

展覧会が興業で集客がおちたら迷惑をかけるからという理由から、
作家が舞台裏で作家同士でもじゃもじゃ言っているだけで、表面化しないから、
作家には当たり前のことが、言わないと誰にも伝わってないわけです。


そもそも見えない壁を打破するための表現力がアートで、
その魅力によって作家と社会をつなぐ仲介者が出現したはず。


大きい視野の話で言えば、社会に対してのメッセージを表出することが
最初の根本の目的で最終目的、その手段の一つがアート表現ならば、
他の手段を二刀流三刀流で使ってアートの力をより広くに伝えて何が悪いのか。

むしろ、物体をつくるとか形をつくるとかにとらわれすぎて、
社会にメッセージを伝える力がアートにはあるというそもそもの目的が
作家にもわからなくなっているのではないか。
その力を信じてないからプレゼンというプレゼンを邪道として技術に執着して、
より伝えようとはしなくなっているのではないか

「技術的な修行も果たしてないのに売りに走りおってあの作家は」とかいう
セールスとしてのビジネスではなく、
作家からのメッセージをより広く伝えるための潤滑剤となるプレゼンとしてのビジネスは
邪道どころか潔白で、むしろ能力として必要ではないか。


確かに、それを単一な形で伝えがちな言語や文章よりも、
見た人触った人体感した人たち各個人の中にある受け止め方に委ね
解釈に自由度を持たせた表現手段がアートである。

ただし、意義を仲介者や協力者にプレゼンするには言語や文章が必要であるし、
作品のメッセージは作品自体に持たせ語らせるべきである。

その使い分けをどこかで誤り
「念を込めて作れば良さをわかる人が拾い上げてくれてすべて作品で伝わる」
という他力本願がまるで正当なことかのような作家内での風潮が
どうにも自己中心的で視野が狭くて好きではない。

言い換えれば伝えるのが最初の目的なのに
「より伝えるためには色々な手段を使って広めないと」、
という当然行き着く思考に行き着くまでの時間がないほども 作家に展覧会が
回ってきていては意味がないし、
それを回している張本人が、作家に代わってプレゼンをやることを本来の仕事
とするハズの仲介者たちでは仕方がないのだ。
(すべてがそういう仲介者ではないことは断っておくけれど、
とにかくそういうのが増えたのは確か)

多分根本的な問題として、仲介者が仲介をしていないことに作家が気づいていない。

そこに危機を感じていれば
自らがプレゼンをしなくては成り立たない!と当然のこととして動き出すハズなのだ。

…あー頭が疲れる。そういう話。

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