msexpo20.jpg
 Categories:

« 文字と音と言葉と物体と | メイン | 搬出ラストでした »

2008年06月22日

   ●高知新聞

高知新聞 6月20日 朝刊 地域社会面に掲載されました。

作家の私の呪文のような独り言現代アート的な視点の話では「なんじゃそら?」な方にも
よくわかる解説。
各作家的には色々思う節もありつつも新聞とはそういうものなのです。

で、よくわかり過ぎて、学芸面だと出ないのに社会面だから住所や年齢が出るんだってさ。
ほほほ。

 

脳みそと言うのは妙なもので、色んなモードのスイッチがあって、たとえば
作家活動していない時期には「何だこの難解な哲学風な排他的な文章は」と思った文も
作家活動を始めると「あれ?たいして難解でもないな...何で難解に見えたかな?」と
なるのです。
むしろ、そのスイッチが入っていなかった期間があまりに長いと作家状態の維持でいえば
危険な状況なわけで。専門の本ひとつも拒絶反応で読めなくなる。
読んでも読んでも頭に入らない。

BLOGに荒唐無稽に見える文字を打っている期間や、後にそれを読み返す時間と言うのは
自分をその世界へ連れ戻す船に乗り込んでいる状況と言えるのです。

その船に乗る乗り方は作家によっても色々で、通勤の車の中で切り替える人も居れば
音楽を流している時がその船に乗り込む時になっている人もいるし、瞑想する人もいれば
空間が変わる(例えばアトリエ)とスイッチを入れる事にしている人も居る。


そうは言っても地面に足をついて日常生活もしていないと、
日常生活的に何だかよくわからない人になってしまうので、作家ばっかり維持しているわけにも行かない。

宮崎駿が「ニコニコもしないといけないと思うからニコニコしているけど、
僕は基本的に不機嫌で居たい人間なんだ。」と言って突然マスコミをしめだしたり、
天空の城ラピュタの中で「どんなに高度な文明を持ってしても、地面からはなれては人は生きられない」
というセリフが出て来るのは、ある意味よくわかる話で当然の事だ。

何の専門の世界でもきっとそうなのだろうと。

新聞と作家自身の間の文章を書く人と言うのが地方には足りない。
何故なら需要が無いからお仕事にならないから。アートを頻繁に見る人の絶対数が少ないから。
間のものまで仕事に出来るだけの予算が無いから。
その割には高知は作品作ってるヒトの割合は高いよね...。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://yoko14145.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/563

コメントする

RSS 一覧

  最近の記事窓

  14145生存確認窓
  犬島時間 LINKs
  高知 ART LINKs

   旧BLOGの過去記事の一覧へ >>月別カテゴリー別        ↑ のLINK集全一覧はこちら  ↑


↑前のBLOGです。

↑前の前のBLOGです。

↑本体サイト[作品集]です。

Copyright (C) 2000-2007 我楽多画廊 Yoko Ishii. All rights reserved.