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2008年07月10日

   ●高知で京都

今日は予定では再び岡山に行くはずだったのですが、
高知に居ます。先方の都合が変わったようで。
先方と言うのが京都の方々。

まだわかりませんが。どうも個展ではない事になるかもしれないです。


何よりもここ半年なかなか進まないのです。
前の日記にも書いたようにやっぱり
「県外で開催」と言うのには限界がある。

どうしてかといえば、
"私の展示や制作の方法がやたら周囲の環境を利用する"から
「よく知ってる所でやらないと予定が合わなくなる」のでこう難しくなるのですが
例えば展示空間だけの話でなくて
"展覧会のコンセプトの一部がまるまる作品のコンセプトの一部"だったりするし
無意識に既存のものに寄生して成り立つように作ってしまう。
(だから計算外のことにブツブツ独り反省会を書くわけですが、すぐに運営側に対して文句を書いてる
と思われる。結局の所、特殊なことを聞かないといけない側が聞いてないのだから作家が悪いのです。
作品は自己責任。作られたものだから永久に不自然ではあってもそれでより成り立つ条件をさぐるのが制作)

 でも作品自体そもそもそういうものですけどね。
作品にテーマやメッセージが有る時点で何かには依存して作り出されてるはずだから。


もちろん作品なので、最後に行き着く所は意図的にやってるんだけど、
「どうしてそうする事を選ぶのか?」を順番に自問自答して原点をさぐると、
すでに何か環境的な要因に起因する所に無意識で合わせた部分が発生していて、
土台自体をその上に乗っけてしまっているのです。

作品の合理性でいえばかみ合ってる部分が多くなるので
作品が作品として成り立つ純度?は高くなるのですが
そうなると、「やっぱり予定を変えました」とか「情報が入ってなかった」というのが
いつの間にか起きると、
作品のコンセプトが根底からひっくり返る事も起きかねない。

それは「毎日会う人や場所」が相手ならすぐに修正が出来たり解決策を考えたりできるのですが、
やっぱり物体を作っただけでは作品を作った事になってなくて、その展示場所とかその土地
とかそこに住む人とか色んな事を計算に入れて上手いトラップを仕掛けようとすると、
「よく知らない」ままでは出来ないし、それがただの調べものマニアの1人よがりでも
作品というトラップは上手く発動しないのです。

居ることでわかることを知るまでの間、物体制作に入っていなくてもなじむこと自体がそれは制作で、
住んでない場所のことをどれだけ離れた場所で知ろうとし伝えようとしたか、
それを自分の中ですりあわせて納得して行かないと取って付けたものを発表できない。

人生は短い。いつどこで何をどのように作るか。早くしないと死んでしまう。

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