40.(下書き)ドクレ日報 復活希望の書 (帰って来た悪態)2(11/06 15:54)


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さて前回の続きです。

「謙虚たる事は良い事だ」「意欲的に貢献する事は素晴らしい」「熱心に頑張っていて偉いね」

↑よくある私に対する勘違い。昔っからそう。
点をかせぐつもりも無いのに、いつの間にやら点取り虫。
(先生の子=真面目 という周りの見方が絶対影響している。
まず色眼鏡をかけて見ているからそう見えるのです。)



私がネット上の色んな所で地方のアートの云々を書き散らかしているのは、
そういうゴマスリ思考や点が稼ぎたいからではない。

「ここを守るため」。我楽多日報の本来の姿を取り戻す為なのです。

私="gra"ではないし、私="蛸" でもないし、それ以前に「私は元々個人で作家」なわけです。

確かに「まず常識を教えるのが教員」でしょう。
なのでそういう事もやって来ているし仕事ではやりますが、
そのまま常識にとらわれて作品を作ると新しい世界は開拓できません。
現代アートで作品を発表して来ている以上は、開拓者であり、研究者であり、
他人に理解をされない専門の世界と自分だけの時間を持っている必要があります。
(※現代アートと言うのはジャンルではなくジャンルとしてまだ確立されていないものの総称です。)

しかし、世の中とつながらずには人は存在できません。
この世に人として存在する為に普遍のものごとを確固としてとらえていなければ、
理解されていない専門の世界をどんなに追求してもその意義を伝える手段がありません。

ものごとの本質と言うのは普遍です。人間の本能と言うのは普遍です。
それはとらえようによって悪でも善でもあり、
理解されていない開拓区域はある種のタブーでもある為に普遍であっても開拓されていないのです。


作家というのは、変人ぶりたくて変人になっているわけではなく
(なんちゃっての気取り作家でなりたくてなってる輩もたくさん居て、ある程度気取ったら気が済んで活動を辞めて行きますが、
全くもって作家が偏見をもたれるタネになるだけし、本気でやってる作家サイドから見たら邪魔になるのでやめてほしいが)

その自分の開拓世界の普遍探しと日常の生活を行き来している為に
変わった人物のようになっているだけで、
変な事をしたら芸術活動をしていると思っているわけではないのです。

私はおそらくそのような人たちの中で、比較的使い分けをハッキリしている為に、
「謙虚たる事は良い事だ」「意欲的に貢献する事は素晴らしい」「熱心に頑張っていて偉いね」
などと言われるわけで、私にとってそれは世の中に認められて嬉しい事ではなく、不自由になるのです。何故なら私にだって他の作家と同じような自分の世界は必要であり、何かに認められて表舞台に引っ張りだされて振り回されるよりは、自分の作品を真剣に考える時間が必要なのです。
(だいたい、[比較的]であってただの相対関係で、一般的にみればちゃんと使い分けているわけでもないのに、冷静に考えれば私が褒められるような話ではない。むやみに持ち上げる前によく目を見開いてみていただきたい。)

その自分の時間と世界の一部が私にとってこのBLOGであり、
「ここの内容を見て私を過大評価するな」「放っておいてくれ」と言うのは
そう言う意味なのです。

初期のこのBLOGはgraのことも色々書いていました。
当時graにはサイトしかなく、細かい情報を毎日流すBLOGのような媒体が無かったからです。
いつの間にかここがgraのBLOGであるかのように周りが見に来るようになり、
ビッグネームである[シ毎 シ羊 堂]さんのイベントの時には苦情がここに書き込まれるまでになり、
周囲の認識として[私=gra]なのだということに気がつきました。私はgraである前に作家で個人
なのです。graのBLOGをココとは別に隔離して立ち上げたのはそのためです。


そうこうするうちに、私の力とは関係無く、
ここは人が集まるBLOGとして告知を頼まれるようになりました。
あたりまえですが、人が集まらないBLOGで宣伝するよりも効果があるからです。
そもそも何故ココに人が集まるかというと、私が不自由に不満を抱き
悪態をついて「こんな自分の思うようにならないBLOGはぶっ壊してしまえば良い」と思って
自ら荒らすからで、その度に想像以上に人が集まるのです。


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