我楽多日報!!!!?

projectが2つ同時進行になったので、2011年8月以降使っていなかったBlogを復活しました。

2015年11月7日
by yoko14145
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2015/11/3犬島にて。

2015/11/3犬島にて。
#妖怪イヌジマ #イヌジマ

「来島者の多い島の祭に合わせで年2回やったらいい」
との島の方々の声がきっかけで年2回行ってきた犬島天満宮での行灯ですが、
単に再展示というより[2度段取りして2度開催]に近くなり、
島や関わる人の状況も少しずつ変わり、自分の状況も変わり、
それゆえに難しい事も色々と出てきて、
最終的に
「今後は年1回5月に里帰りと行灯を集約してその分内容をより良く」
と変更を決断、 そして行灯をお休みした今回。

次回に向けての作家さんとの打ち合わせ準備上陸と、
非公式(里親さん有志主催)での「イヌジマトイヌジマへイコウ2015秋」に
3日の午後に合流した形となりました。

鎌倉での非公式の妖怪イヌジマの集まりに参加された里親さん達から
寄書きの本を頂いたり、
妖怪イヌジマの目の砂の産まれた地
=もう何度目の入場かわからない銅の精錬所跡にも行き、
犬島天満宮では神事に参加させていただき、
神主さんに手紙に続き再度行灯お休みの報告。
授乳拒否を再発しないために 乳児連れで行っていたこともあり
「女性の生涯一番の大きな仕事ですから、
 それは色々と大変でしょう。なによりのことです。」
とお返事頂きました。
妖怪イヌジマも最初から面白がってくださって
「物に魂が宿るというのは非常に日本的で
 大変良いものを生み出されました」とのお言葉を
以前にも頂いたのですが、
流石岡山の一宮の神主さんだけはある懐の深さです。

やはり島人の方々にもわかりやすいので
[赤ちゃん]に対しての反応が想像以上に大きかったりしたわけですが、
[妖怪?アート?よくわからない]という壁が
まだ若干と言わずあったのだな という再確認の上陸でもありました。

今まで通りでないことがもどかしいことも多いここ1年半なのですが、
色々と変わって行くこと自体も違って見えてくることもあって
それもいいことなのかもしれないとも思った上陸でした。

2015年10月25日
by yoko14145
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イヌジマの人は今何やってるの!?

イヌジマの生みの親は今何やってんの!?について
長くなりそうなので久々にBLOGを書く事にしました。

諸事情で産後2ヶ月半も経たないうちに個展を行い、6月末に個展が終わりました。
その個展中のWeb上イベントとして
長い開催期間を活かして犬島の石スポットをリアルタイムにイヌジマbotが巡り、
通過ごとにweb上に犬島の石巡り60枚のペン画が更新され、会場に扇絵が追加展示されるという
「犬島の石巡りbot」の企画を行いました。
※ リアルタイムで見ていない方は、妖怪イヌジマのNORAD Santaのようなwebとリアルが同時刻でリンクしているものをイメージしてもらうとわかりやすいかと思います。

会期中に60枚のペン画は完成したものの、
大阪入りするあたりで頓挫している扇絵はどうなったのか。
何故頓挫したのか

「個展が終わって3ヶ月半も経ったのにイヌジマの作者今何やってるの!?」
という現状なのですが、

結論から言えば
個展後の3ヶ月半の停滞については、「授乳拒否」というものになり、
子育てが大変という以前に”時間がない”状況ですが、
実際 [保険適用外なので病気ではない] というややこしいものです。

話が医療系でわかりにくいので、ぐだぐだ説明するよりも早急に治すのが最善!と思い、
とにかく色々やってみましたが早急に治る話ではありませんでした。
[もう3ヶ月半たった] でなく[まだ3ヶ月半しか経ってない]でした。
元々怪我もなく無病息災な人生だったので即完治するものにしかかかった事がなく
怪我や病気を何かをしないイイワケのような気がして治ったあとで言う性分だったのですが、
今回のは短期で簡単になおるものではありませんでした。

楽しみにしていただいていた方々には、大変遅くなっており申し訳ありません。
必ず石巡りの扇絵は続きをやります。

この3ヶ月半以前も、妊娠時は常時なにかしら体調がオカシく普段全くひかない風邪を3回もひいて寝込んだ。胃腸がつわりでやられて延々下した。ものすごい胃痛で点滴入院した。等微弱陣痛で難産だったなど体格に対して子が大きく、ゴムゴム人間な体質らしく子宮がのびきっていて陣痛で出きらずクリステレル圧出法と吸引分娩だったのでいまだに骨盤がオカシイ
生きるか死ぬかの出産の世界でいえば “ごく普通”で”母子ともに無事”の範囲内ではあるけれど、
[自分にとっては今まで通りでないこと]が起きつつも
それでも最初は「子育てしながら制作や活動もやってある程度できた」ので、
今回も何とかできる、イイワケしたくない、と思っている所はいまだにあり、
それがここ1年半くらいネット上の文章から私自身の人物像が全くわからない原因のひとつにもなっていました。

その結果、観客参加型のスタイルにも関わらず、作品に興味を持ってくれた方から見て
「遅いなぁ」「どうなっているの?」「何を考えてるの?」というプロジェクトの進行がわからない状況を産み出していること。
そして、そもそも、存在やルーツというテーマを柱に制作を続けて来た結果として現在のプロジェクトに至ったので、
子どもを産んで育てることが作品に全く影響がないはずがないのですが、
一切それを[関係ない事][私的な事][無駄な事]として切り離して「ネット上に書いたら作品が脱線する事」としてしまって状況を説明していないことが、逆におかしいのではないかと思うにいたり、プロジェクトの進行以外に自分の声として久々にBLOGで書く事にしました。

ものすごく簡単に言えば「育児トラブルで色々止まった」なのですが
状況を説明しようと思います。

2015年10月25日
by yoko14145
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授乳拒否というものになりました

授乳拒否というものになりました。

6月末に個展が終わり、7月頭に搬出に東京にいきました。
夜行バス泊2日東京泊1日後に高知に戻りました。
するとすでに生後約4ヶ月の息子は授乳拒否(乳頭混乱)というものになっていました。

搬入の時にも、ゴールデンウイークの犬島上陸の時にも、同じようにして1泊以上家族に預けて行って大丈夫だったのですが、
4ヶ月弱に成長した脳には2日(3晩)母親が居ないのは大事件だったようです。

そもそも息子の飲み方自体がオカシイらしく、母乳の製造量が増えない状態が最初から続いていましたが、
そのうちどうにかなるだろうと最初は深刻には考えていませんでした。

「授乳拒否(乳頭混乱)って?何?
 母乳飲まないならミルクあげればいいんじゃないの?楽じゃん」

と思う方も居るかもしれません。私も最初はそう思っていました。
実際、拒否前は母乳も飲んだあとで200ccのミルクをたった5分で飲む子で大喰らいで、
生後1ヶ月で5kgを超えるビッグベビーだったので、拒否当初は少々体重が減っても栄養的には問題無しでした。
飲んで満腹になれば寝る(長時間の入眠儀式が要らない)という大変扱いやすい子で、
このおかげで新生児の段階でも制作ができていました。

授乳は時間を確保する催眠ツールでした。
それが一転、弓反りで盛大に拒否。延々号泣されるツールになりました。

そもそも預ける事を前提に母乳とミルクの混合だったのですが、
完全ミルク育児にしない理由の1つはSIDS(突然死症候群)をおこさない為で、
母子手帳などにも「なるべく母乳を飲ませましょう」とかいてあります

SIDSの原因は不明らしいのですが、ハイリスク因子は
   1. 両親が喫煙者ならば両親が非喫煙者である場合の約5倍。
   2. 完全ミルクならば完全母乳である場合の約5倍。
   3. そして、うつ伏せ寝は仰向け寝の約3倍。
  <引用元:最強母乳外来- SIDSは怖いですね>

うちの場合、1.の喫煙者はゼロで、2.完全ミルク化と、3.うつぶせ寝を回避しないといけないパターンで
SIDSの最注意期は生後4ヶ月、授乳拒否を起こしたのが3ヶ月と25日目。

当てはまり過ぎで、
タイミングが悪すぎる。


1.
喫煙者はゼロなのですが

母体に対して子が大きく、産まれる時に肩甲骨が引っかかり、さらにへその緒がからまっていたため、
呼吸器に損傷があったので、産まれて5日間は保育器に入っていました。
喫煙者は居ないけれど呼吸の器官が元々強いわけではない

3
. 3のうつぶせ寝に関しては、

うちの場合、寝返りが早く3ヶ月のころ(6月10日前後)には寝返りをしていました。
しかも寝返り返りがまだできませんでした。単純に危険です。

2.大問題は2.です。人間が2人居るというのはこういう事だと痛感。
そもそも息子の飲み方自体がオカシイらしく、母乳の製造量が増えない状態が最初から続いていたうえに
少量ずつでいいといっても「毎日母乳を飲ませる」というのが、授乳拒否を起こすと簡単ではありませんでした
健康に自信があったのでこんな事で困るとは思いもよりませんでした。

母乳は子が飲みたい気分になった時だけ飲んだら出るものではなくて、
子どもが飲めば飲むだけ出るようになり、逆に毎日維持していないとどんどん出なくなるもので、
3.4ヶ月目で、必要分だけ必要時に供給する”さし乳”に移行すると搾乳器が使えない。
手で搾乳するにもあらかじめたまっている”たまり乳”期ほどの量が全くとれない。
直接子が飲むしかない。

その肝心の子が授乳拒否をしている
状況なので飲ませるには寝ぼけている時をねらうしかない状態になり、

寝た子を毎回起こしている状況になり常習的に子が寝ない子が起きて騒いでいると事が全く進まない
さらに、飲むチャンスを増やす為に日に7.8回3時間おき24時間授乳ミルクは母乳よりも消化時間がかかるので胃に負担をかけない為に3時間あけないといけない決まり。
= 出生直後の新生児と同じ頻度ですが、新生児との違いは、 1回に80cc以上のミルクを飲ませると哺乳瓶のほうが楽に出てくるので
どんどん母乳のほうを飲まなくなると言うのが定説らしく、日に1リットルのませるには授乳回数を増やして量を分けるしかない。
に戻ってしまいました。

要は、育児を経験した人なら誰でも産まれた直後は24時間3時間おき授乳は当たり前ですが、
授乳拒否の3時間おきが恐ろしいのは、いつ治るかわからないのでそれまでずっと続くことで、
子が寝ていても飲むまでに目が覚めると拒否する、飲まない状態が続くといつ母乳が出なくなるのかわからない。
寝たら一度しっかり寝るまで音をたてないで生活しなければいけない。家はそんなに広くない。
もうこうなると子が寝てても起きてても事が進むはずが無い。です。

3時間おき24時間授乳は体感するとこんな感じです。web上で最近有名な記事2例。
 ( >>>例1 三十路男の悪あがき >>>例2 ほぼ日刊はるはら )
一旦トラブルを起こしてしまうと「母乳100日」と言い再び軌道に乗るのに3ヶ月以上かかるといいます。

授乳拒否は、混合育児では誰しもいつか通る道といわれるものらしいのですが、
即治らなければ、ほとんどの場合完治は長期戦、早期に改善できても最速で2.3週間以上、通常2.3ヶ月、
6ヶ月かけても治らないまま危険な時期(1歳超えるころまで)をクリアするのだそうです。

[季節が暖かかったので厚着によって息がしづらくなる心配がなかった]だけ良かったほうです。

未だに完全には拒否はなおっていません。
単に飲むのか飲まないのかで言えば、1日7回の授乳中5回飲む所までは改善されましたが、
号泣こそしなくなったものの、拒否自体はまだ続いています。


【それでも最初に比べて劇的に改善した方法】
同じように授乳拒否で困って検索でここにたどり着いた人用に書き残すとしたら、
十何通り試した治し方の中で効いたのは以下の4つです。
他のものは一瞬はかなり効果がありますが、2日ともたずにその後4.5日かけて拒否状態にすっかり戻りました。
が、この4つは違いました。

長時間説得するある日5.6時間ぶっ通しで「何故飲まないといけないか」を赤ん坊に説得したら劇的に様子が変わりました。言葉はわかりませんが空気が読めます、思いのほか人間です。元よりは良い状態が2週間ほど続きました。 / 風呂で授乳する最強母乳外来というblogにも載っている最も効果があるという方法です。10月から沐浴をやめて入浴にしてみました。「風呂では毎日飲むもの」とすっかり勘違いしているようです。これで昼の覚醒時もたまに間違えて普通に飲みます。 / ミルクを先に飲ませてから授乳する普通は混合授乳は分泌量を増やす為に「母乳→ミルク」ですが、昼寝前のターンの時に「ミルク→母乳」にします。満腹気味になると寝ぼけるので飲みます。 / 「はい、あーん」という5ヶ月から始めた離乳食をあげる時に「はい、あーん」と言いつづけ、授乳時にも同じことを言う。条件反射で間違えて口をパカッとあけて、うっかり飲みます。起きていても眠い時はこれが効きます。


さらに、11月の上陸イベントが公式ではできなくなった理由なのですが、
授乳拒否だけならまだなんとかできるかもと思っていたのですが、平行して
6ヶ月になった時にはすでにハイハイが完成し始めていましたうちの息子ですが、
予想外に6ヶ月と5日でひとりすわり、その5日後につかまり立ちを始めてしまい、
(平均範囲は早くてもひとりすわり=7ヶ月、ハイハイ=7ヶ月半、つかまり立ちは8ヶ月からなので異様に早い)
詳しくは後述しますが、一日中猛烈に動き回ってコケて泣いている状態が3週間は続き、
スケジュールが滅茶苦茶になったことが大きいです。全く先が読めませんでした。もうしわけありません。
今後はこういう事も計算に入れて計画を組もうと思います。その意味でも年2回開催を1回にし内容の充実に重点をおこうと思います。

2015年10月25日
by yoko14145
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授乳拒否の月別記録と発見

全くわからない授乳拒否になり、検索で対応策を調べたのですが、検索時に色々な作家や作り手の方のサイトの育児体験記も参考になり、
作品と作家の人物像は全く切り離さなくても良いのではないかと思った事が今は一番の変化かもしれません。
子育て日記ばかりを書くとまた本末転倒ですが、代役の効かない仕事をされているかたで、これから出産育児をする人に、
何か参考になればと思い体験談として経過を月別に書き残してみます。
(タイトルクリックでオープン式にしてあります。)

6月 — 生後3ヶ月 寝返りをなめてはいけない。—
先に書いたように、この個展開催中の6月10日頃から寝返りができても寝返り返りができませんでした。
赤ちゃんを”ねんね”と”ねんねじゃない”時期でわざわざ呼び分ける理由が初めてわかりました。
扇絵をリアルタイムで描けていた時、できたものを翌日に会場に届けるために子どもが爆睡しているのを確認してバイクで最寄り片道7分の宅急便の営業所へ超急いでもって行っていましたが (というのも何も事故が無かった今だからいえますが)、寝返りを始めるとそんな事はできません。
「今までの人生で命を預かる仕事した事なかったんだな」と実感します。やたら色々なことができなくなります。
(※ペーパードライバーで、バイクは乗れても車に乗れません。赤子はバイクで運べない。全部歩き。)

今後に育児の予定のかたの参考にいうと、制作系統の事は寝返りするまでは案外いけます。

「寝返るまでは搬入や島に上陸に行け開催中にペン画60枚は描けても、寝返りだすと扇絵は無理」でした。
立体はまだいけます。絵は無理です。SNSはまだいけます。パソコンで長いコードを組むのは無理です。
違いは、バラバラ部品で小出しに完成し いつ初めていつ終わっても続きのいけるものはまだマシです。
途中で見せられないタイプのもの(総合して俯瞰して段階を追って最終形態が見えてくるようなもの) は無理です。

育児中のママさん達が子どもの服を縫ったりよくそんな時間があるなとも思いましたが、確かに裁縫はできます。
むしろ裁縫のようなタイプの事じゃないとできません。
(腐らない、乾かない、水が要らない、子が踏んでもぶつかっても固くない、部品を引っ張って破壊しようにも壊れない、少々口に入れても安全、作業が分断されてもいつでも続きができる、手元でできるコンパクトサイズ)
私が石巡りのペン画60枚だけは描けたわけです。描いてる当時はわかっていませんでした。


寝返りができて寝返り返りができないうちは始終状態を確認する事になるので急に全然動けなくなり驚きます。

やってみないとわかりませんでした。すみません。

私は典型的な根性論人間で、瞬発力がゼロなのでその分を持久力と時短の工夫と寝ないでやるという方法だけで色々なことをどうにかしてきましたが、根性論や努力でどうにかなる話ではありません。
寝ないと肝心の母乳が出なくなったり、乳腺が詰まって熱を出したりで何のために何をしているのかわからなくなります。

「とにかく時間が無い。」まず寝返りだけでもそんな感じになります。

7月 — 生後4ヶ月 授乳拒否を起こした。—
これも先に書いた通りですが。
夜行バス泊2日東京泊1日後に高知に戻りました。
すると何の前ぶれもなく生後約4ヶ月の息子は授乳拒否(乳頭混乱)になっていました。
(あとで知りましたが、遠方に一泊等でなるのもある話らしいですが、普通に離れず生活していてもなる時にはなるらしいです。)

最初は何が起きたのかわかりませんでした。
移動の高速バスの中で風邪菌をもらってしまいはじめの4.5日は
「授乳中でも飲める漢方の風邪薬を飲んだけど、きっと母乳に味が出ておいしくないんだな」ぐらいに思っていました。
その後4.5日内臓の体調不良で滋養強壮剤を飲んだので
「今度はこれがきっとおいしくないんだな、そのうち飲むだろう」。

全部治っても何故か全く飲まない。弓反り号泣がおさまらない。哺乳瓶に入れたものしか飲まない。

ここで完全におかしいとやっと気づきます。
そこから検索の嵐。今までほとんど見もしなかった育児サイトの母乳トラブル関連の体験談や治し方成功例を
10日ほど読みあさります。
なぜなら、3.4ヶ月検診で聞いても「ミルクどんどん増やしてくださいね。」しか言われません。
検診は小児科だから?母乳外来じゃないから丁寧に教えてくれないの?と思い検索しましたが、
母乳外来で「完全母乳にこだわらなくてもいいんじゃないですか?」等と言われ
「わらをもつかむ勢いで来たのに何故この指導で保険適用外で高額支払いなのか」と憤慨している事例が出てきます。
(これ以前にも「ん?」と思うような事が母乳外来であったので、どうも母乳外来の印象が元々自分の中で良くなかったのですが、私の運が悪いだけでちゃんとしている母乳外来もあるのかもしれませんが。)

そこで、母乳外来ではなく桶谷式母乳相談へいきました。

すると1時間以上かけて飲ませようと試み拒否と大格闘して寝落ちしたので飲み始めたという治療方法でした。
結論は「母乳を選ぶかミルクを選ぶかはこの子次第。」・・・色んな意味でスパルタでした。

こんな事を毎日7回もやれません。それだけで1日のうちの7時間が経ちます。
異常に疲れて親が爆睡する→夜中に3時間授乳どころではなくなる→
→3時間おきに飲ませないと出なくなる→完全ミルクになってしまう→SIDSになるかも…。と予想できたのでこの治療方法はやめます。

8月 ー 生後5ヶ月 拒否なおらず ー
離乳食などが始まりさらにやる事が増えるも拒否治らず。
検索すると色々な授乳拒否の治し方や成功例が出てきますが、
最初は効きますがどれも2日ともちません。
拒否に戻って徐々に徐々に4.5日後には完全拒否になります。
4種類か5種類かあれでもダメだこれでもダメだと試しました=6日(2+4.5)×4回
それだけで1ヶ月が経過します。8月が終わる。
夏休み(講師の仕事のほうの)のうちに解決したいと思っていましたが無理でした。

基本的に無理とかできないとか言いたくない性格で、会話能力や瞬発力はゼロですが、
たいがい根性で相手の根負けによってどうにかなって来た所の多い人生ですが、
ここまで根負けしない相手で話の通じない相手を見た事がありません。
当たり前です、なぜなら赤ん坊で自分の子です。無駄な持久力もそっくりです。

9月 ー 生後6ヶ月 まだ拒否はなおらず ひとりすわりとつかまり立ち ー
季節が変わりました。夏の衣替えもしないうちに秋に入ります。
さらに6ヶ月になった時にはすでにハイハイが完成し始めていましたが、
6ヶ月と5日でひとりすわり、6ヶ月と10日でつかまり立ちを始めます。
(平均範囲は早くてもひとりすわり=7ヶ月、ハイハイ=7ヶ月半、つかまり立ちは8ヶ月からがですが、異様に早い。
11月の上陸イベントが公式版でできなくなった理由のもうひとつはこれです。
しかし本気で困っていても我が子自慢にしか聞こえないし、一度できるとできない時にはもう戻らない。)


こうなると部屋中のどこででもコケます。頭から落下しものすごい音がします。
あきれて「え?何してんの!?」と目をうたがいますが、
自分の体を操縦できないというのはこういうもんなんだなと思います。
「コケて泣く」をなめていました。
授乳拒否の対策で寝てないのに日中四六時中猛烈にうるさく何もまともにまとまらない。
コケるとかいうかわいいものではなく、性格的に危ない事が大好きで怖さ知らずで興味がありすぎ、
頭を強打しドシーン、ガッシャーンというスゴい音が日に何回もし、手に負えません。

あっちもコッチも市販のカド用クッションをつけます。

クッションがつけられないような所でも頭を強打。ワタやエアキャップを入れたカバーをザツに縫って自作します。
「何もできない、目が離せない」は比喩ではなく、実際の話です。
おんぶヒモがいいという話もありますが、あげたりおろしたりが簡単でなく思ったほど便利でもないです。
もう完全にベビーサークルの柵の中に閉じ込めます。ずっとつかまり立ちしています。ますます鍛えられます。

ある意味まさに動物園 神の楽園としておきましょう。七五三の理屈では7歳までは神様です。もううるさくて色々どうにもなりません。
神経が腰まで成長してないのにハイハイを始めた時(生後4ヶ月半から5ヶ月)にも癇癪泣きが猛烈にうるさかったですが、
今度は落下や強打するのでその比ではない。

ある程度上手にこけるようになり、クッションが全部追いつくのに10日強、
痛くない場所でこけても全然泣かなくなるのには3週間ほどかかりました。

この間にも検索で授乳拒否の治し方成功例を参考に色々と試します、
この月も4種類か5種類かあれでもダメだこれでもダメだと試しました=6日(2+4.5)×5回
それだけでさらに1ヶ月が経過します。恐ろしい事に9月も終わる。

この辺りになってくるともう何をやってるのかわかりません。眠い。
普通の生活でも毎日6時間睡眠では酔っぱらいと同程度しか脳が働いていないという研究結果があるらしいですが、
ずっと睡眠時間が1.2時間ずつに分断されている状態。
(※3時間おきのうち1時間はどうあっても寝られない。ミルクを作って体温程度に冷ますのに7.8分
 ミルクを母乳よりも飲みやすいと思わせないために母乳相談室という商品名のなかなかミルクが出てこない哺乳瓶であげ、飲ませるのに100ccにつき12分
 母乳の授乳自体に8分〜15分、離乳食が10分←大食らいなので0歳児にしては異様に早食いですこれでも。オムツが布オムツなので洗うのに5〜10分)
常に眼の奥が重い。何日経ったのかよくわからない。
90日くらい経ったあたりでうっかり1回だけ6時間続けて寝てしまったのですが、

何でもできそうなくらい力がみなぎっていて体が軽く「普通ってすげー。6時間睡眠すげー」と思い笑いました。

10月 ー 生後7ヶ月 なんとなく治って来た気がします ー
先に【それでも最初に比べて劇的に改善した方法】であげたように、長時間説得したり、沐浴を入浴に変えました。
その結果、10月に入ってからは弓反り号泣がなくなり、徐々に手で押しのけて嫌がる事も少なくなり、
まだ少し顔をそむけたり小さめの声で「エッ、エッ、エッ、エーン」という嫌だという意思表示はしますが、
怒る・うなる・ほえる・叫ぶ 感じの大音量の濁点のついた泣き方ではなくなりました。

そして、どうも食べる事が大好きなようで哺乳瓶やスプーン(5ヶ月から)や赤ちゃんせんべい(6ヶ月半から)を見ると絵に描いたようにニコニコするのですが、乳を見てもたまにニコニコし始めました。
これは予想ですが、選択肢が増えると違いが楽しくなってくるようで、
2択しかなかった時の「絶対哺乳瓶でないとダメ!直接母乳は嫌!ミルクでも母乳でも哺乳瓶に入れて飲むの!」という頑固思考が抜けた感じがします。
なので、最近マグマグのスパウト(ストローと哺乳瓶のあいのこ)を買いました。
親からすれば「
SIDS(突然死症候群)になってもらっては困るから母乳だけは必ず」なのですが
本人的には食べ方5種類のうちの1種類になると、直接母乳だけを断固拒否する意味が薄れたのかと思います。
結局「母乳100日」の通り100日ほどたってやっと様子が変わってきました。
完全に治るのかどうかはまだわかりませんが、食べられるものも増えて
「今日元気でもSIDSで明日突然死ぬかも」という心配はだいぶ薄れた気がします。

 

最終的に、毎日全然時間がないには変わりないのですが、
徐々に徐々に他の事ができる時間を確保できつつあります。

なにはともあれ、今の所母子共に無事は無事です。母子共に無事の意味の範囲は想像以上に広大でした。

長文になりましたが、大変ですが病気ではありません。
もっと大変な人と比べれば「子育てで普通に大変」の範疇だと思うので、悩んでいるわけではなく「今何やってんの!?」の説明です。
あとはもう調べて知った事を元にやれる事をやるのみで、子育てなので結果が出るのは20年後か30年後です。
前述の通り、私は作品制作では、存在やルーツというテーマを柱に制作を続けて来た結果として現在のプロジェクトに至ったので、
子どもを産んで育てることが作品に全く影響がないはずがなく、いつかは子どもを産むことは元々考えていたことなので、
今後も同様にまわりきらない頭をまわして混乱しつつも進むつもりです。

出産時のことなどは明らかに自らのルーツ・存在に関わってくることなので、近いうちにまた書きとめておこうと思います。

(この文章まとめるにも書ける時間が細切れ過ぎて全然まとまらず1週間以上かかりました。
すみません。大変読みにくいと思いますが、ご了承ください。)


3.授乳拒否の月別記録と発見

2014年7月1日
by yoko14145
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初猫祭プロジェクトの発端2

この記事は書きかけの状態なのですが、公開をいたします。

後にわかったのですが、ちょうどこの時期に妊娠をしたようで、
このあと腹が激しく下る体調不良が続き、
元来は滅多に風邪もひかないという特異な体質なのですが、
10日前後寝込む大風邪を立て続けにひきました。今思えばつわりの前兆だったのだと思います。

この記事を書こうとした後の7月からつわりが本格的に始まり、
当時その年度内での助成を受けての活動という事で
表向きは活動を初猫祭の公式サイト(http://hastuneko.net)やSNSなどで報告していましたが、
正直息も絶え絶えの状態で、まともに10分起き上がる事も難しくなり
平行している別の仕事が夏期休業の間だったので一応なんとかなった状態でしたが
特に夏の2ヶ月何をどうやって行ったか自体ほとんど正確に思い出せないのです。

大変な記憶が残らないように再び子孫繁栄の為に
妊娠期間や出産前後の記憶が消えるということがあるらしいのですが、
このBLOGを復活した事とその存在自体を冗談抜きで1年半忘れていました。
書きかけの記事があったこと自体も記憶にありませんでした。

産後は産後でちょっとえらい目にあっている所で
別のイベントのお休みの告知の為にBLOGが必要になり、
「あれ?前に何かどこかにBLOGを復活したような気がする」という
夢か現実かわからないほどの記憶がある事に気づき、
サーバ内のデータを探っているうちに確信に変り、先ほど思い出しました。

そもそもは花粉症以外は万年健康体で、病気を言い訳と思っていた所があり
けがや病気で心配される事が極端に苦手なので、
表向きには言わないとか完治してから何でも無かった風に言うことが多いのですが、
妊娠出産育児というのは全く別物だなというのを実感している昨今です。

記憶に無いとか本当に覚えてないとか、まさかこんな事があるんだなと自分でも驚いていますが、
完全に浦島太郎で衝撃が大きく、今はあわてるしか対処のしようがない状況なのですが
何をしようとしていたかをすこしづつ地道に形にして行きたいと思います。

2015年10月13日記

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2010年11月28日の話。
住吉神社の総本山、大阪の天王寺にある住吉大社へ (記録参照)

なぜこの日だったのかというと、大阪市立美術館で行われた
住吉さん  ~住吉大社1800年の歴史と美術~」の最終日だったからで、
なぜかどうしても行かないといけないような気がして大阪へ行きました。

「初辰さん」

初辰とは、毎月最初の辰の日のこと。
この日に参拝すれば、より一層力を与えて守り助けてもらえると信仰されています。

そして4年を一区切りとして、48回参拝すれば、満願成就となります。
これは、四十八辰、つまり始終発達するという意味からきたもので、
4年間月参りを続けられるというのは、それだけ無事発達していることでもあります。

住吉大社の公式サイトより引用

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この記事は書きかけの状態なのですが、公開をいたします。

後にわかったのですが、ちょうどこの時期(2014年5月末)に妊娠をしたようで、
このあと腹が激しく下る体調不良が続き、
元来は滅多に風邪をひかないという特異な体質なのですが、
ひどく寝込む大風邪を立て続けにひきました。

この記事を書こうとした後の7月からつわりが始まり、
当時その年度内での助成を受けての活動という事で
表向きは活動を初猫祭の公式サイト(http://hastuneko.net)やSNSなどで報告していましたが、
正直息も絶え絶えの状態で、まともに起き上がる事も難しくなり
平行している仕事が夏期休業の間だったのでなんとかなった状態でしたが
夏の2ヶ月何をどうやって行ったか自体もほとんど正確に思い出せないのです。

大変な記憶が残らないように再び子孫繁栄の為に
妊娠期間や出産前後の記憶が消えるということがあるらしいのですが、
このBLOGを復活した事とその存在自体を冗談抜きで1年半忘れていました。
書きかけの記事があったこと自体も記憶にありませんでした。

別のイベントのお休みの告知の為に「何かどこかにBLOGを復活したような気がする」という
夢か現実かわからないほどの記憶がある事に気づき、
サーバ内のデータを探っているうちに確信に変り、先ほど思い出しました。

こんな事が本当にあるんだなと自分でも驚いていますが、
何をしようとしていたかをすこしづつ地道に形にして行きたいと思います。

2015年10月13日記

2014年6月30日
by yoko14145
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初猫祭プロジェクトの発端1

初猫祭プロジェクトの発端

  初猫って何?
  そもそもなぜ猫なのか。の話

 

沖の島を初めて訪れたのは、2009年7月11日の日食の日、イベント下見としての上陸でした。
(2010年3月に
イベントは無事終了)

作品の片付けの段取り等で5日間、島の弘瀬地区に滞在中。

島の後につながる事が残るとさらによかったかも、
経済が回る事を最初から計画できてれば。
などなど、島からの意見が色々出てきましたが
次はあるのかな? その時はそんな様子でした。


私が制作のために
島の言い伝えや歴史などを調べていたのを知って

「ずーっと登った所に住吉さんがある」と島の方が教えてくれました。

この「4年前」↓というのがその時で、「祠」というのが「住吉さん」。
つまり住吉神社です。

 


この木に埋もれた祠、十数年前は、初日の出が見える高い場所なので初詣をしていたらしいのですが、
まさに幻になりかけているところです。

1年が始まる最初の日を迎える場所でもこうなるのだ・・・

「島全体が国立公園なので、木を切るにも許可が要る場所もある」と聞いて、

— 人がたくさん歩いて通うと道が再びできる —というイメージがわき

「住吉さん」が気になりはじめる・・・。

>>>> そして、住吉大社の総本山へ

 

2014年5月29日
by yoko14145
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沖の島 初猫祭プロジェクト-調査上陸5/22-

2日目


島の素泊まりの宿に泊めてもらうはずだったのですが、
「お客が1人だけだから逆に面倒だからいいいい」とのことで島人の家に泊めて頂きました。
トイレに貼ってあった宿毛市の?十訓。


原付も貸してもらい少し離れた旧学校を見に。
「色んな会社の製品の耐久テストをこの島でしたらいいのに」
と島の方がいうほど金属が錆びるのがはやい”風の島”でもあります。


学校は普段、漁師さんの網をなおす作業や漁具を置く場所として使われています。
4年前に一緒にやった他の作家さんの黒板絵の作品がまだそのまま残っていました。


島の鴨。皆で共同で飼ってるのだそうで港でガーガー。


鴨姫さんの入口付近からみた弘瀬地区。カラフルなペイントの建物が多くて、高知的。
ちなみに、母島地区は愛媛的でベージュや茶色系統の建物。
歴史的に島の真ん中に県境があった時期があり、南北で異なる文化があります。
古くは鎌倉時代から人が住むと文献に記録が残っているそうです。
参考:沖の島 (高知県) – Wikipedia


三浦家の家紋。鎌倉時代に島に来たと伝えられるのは
関東は相模国御浦郡の三浦で、家紋は丸の内横三つ引両。…メモメモ


鴨姫さんの奥(お社のあるほう)へ行ってみようと思いましたが、道が崩れて切れていました。
元々は船で行く場所だったので後からつけた道はくずれやすいそうで。


 で、今回の目的のメイン。4年前の祠を探しに。 


風があたる側の木の枝が無い一帯。こうなるほどの風もすごいですが
植物もちょっと変わっているそうで亜熱帯に属するものがみられる島です。



亜熱帯っぽいので撮影。


さんざん1人で道を思い出しながらヤブに入ったのにどこにも祠が無い。
遭難してもマズいので、「方角が分からなくなる前にいったん道に出る」
をくり返す事3回(およそ小一時間)。….でも見つかりません。

状況としてはこんな感じ↓


ちなみにイノシシが出ます。捕獲用の檻と足跡。

で、1人では祠を見つけられず、結局元弘瀬地区区長さんにお願いして
こうなる

 

「そこで待っちょって。探してくるき。」と言われて、
     待ってる間に別の場所でミッションしてきた時の報告をツイート

そうこうしているうちに
「あった!」という声が

最後に「ここで聞けば色んな祠の話がわかるかも?」と島の方にすすめられていた、
「老人憩いの家」「あったかふれあいセンター」へかけこみで行ってきました。


サロンなような雰囲気で、色々教えてもらえました。
しかもここに文化的資料が色々あったみたいで、もっとはやくくればよかったかも;


 

というわけで、2014年は、妖怪イヌジマのプロジェクトと平行して
高知県宿毛市沖の島にて初猫祭プロジェクトを行います。助成:高知県文化財団

猫」についてはまだ出て来ていませんが、徐々にお知らせしていきます。

 <<<<<<<< 上陸1日目へもどる

 

2014年5月27日
by yoko14145
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沖の島 初猫祭プロジェクト-調査上陸5/21-

沖の島 初猫祭プロジェクト プロローグ

2014/05/20


明日、4年前の約束の島へ行くのだけど、雨がやまない…。 

今日の午後の船が悪天候のため運行停止になったらしく、
明日の午後の船がちゃんと出るのかどうか。
船は、午前と午後の日に2便しかない。
無事ミッションクリアなるかどうか…。

ひとまず、イヌジマと同時平行進行なので
話の混乱防止にタグ決めないと…。

 ↓
#島の猫(仮)

 

2014/05/21

 

 

無事に快晴で、 午後の船も出ました。 #島の猫(仮)

 

沖の島には大きく分けて母島地区と弘瀬地区があります。
(今は住人の少ない地区も合わせると4.5地区あります)
まずは、母島地区(島の北側)に上陸。

 

 

沖の島へき地診療所

その「沖の島へき地診療所」というのがこちら。

 

 

案内してもらいました。

 そして、センターの支所長に車で送ってもらって6km離れている弘瀬地区へ
(船は1日に2便しかないので、途中で会った車にヒッチハイクして乗せてもらうというのが島の定番)

弘瀬のパノラマ景観赤い灯台から

弘瀬地区(島の南側)全体の昼のパノラマ景観 赤い灯台から

姫島に落ちる夕日。スマホのカメラだと黄色っぽく写るのですが、網戸を通すと肉眼に近い色になりました。

姫島に落ちる夕日。スマホのカメラだと黄色っぽく写るのですが、
網戸を通すと肉眼に近い色になりました。

 

姫島に落ちる夕日。スマホのカメラだと黄色っぽく写るのですが、網戸を通すと肉眼に近い色になりました。

この日は、定年退職されて関西からヨットで四国一周をされている
Yさんとフランス人で教授の奥さんが島を発つとの事でお別れの晩餐でした。
本当は二日前に1泊して出発するはずが、
海が荒れて3泊になり3夜続けてパーティーになったとか。

【動画】
沖の島 島唄
全て歌うと20分以上かかると言う島唄
島の名所案内を船で巡る順に唄っていく内容なのだとか。

 >>>>>>上陸2日目へつづく

 

2014年5月24日
by yoko14145
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Blogを復活しました

プロジェクトが2つ同時進行になったので、
2011年8月以降使っていなかった旧Blogを復活しました。

ここ何年かfacebookをBlogの代わりに使っていて
その外部ミラーログとして我楽多日報.….へ同内容をただ転送していましたが、

「プロジェクト別に見られるとよりわかりやすい」ということで
旧Blogを引き継いでの復活です。

名称は [がらくた]にっぽう と読みます。
よく聞かれるのですが、昔からよく使われている当て字です[ex.]

我 –われら- 楽 –たのしみ- 多 –おおし-
I’m 
happy if you’re enjoying a fulfilling moment.
 -あなたが充実した時間を過ごしていたら私も嬉しい- 
の意味合いで、
見るだけでなく、参加体験できる作品世界とプロジェクトを
楽しんでいただける時間を生み出したいと願います。

ちなみに余談。blogは2004年より順に 初代:我楽多日報! 二代:我楽多日報!?
三代:我楽多日報 四代:我楽多日報!!!? (四代半:我楽多日報…..)です。

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